あと少し。あと少しで私、自由になれるのよ。
だけど今が辛すぎて、あと少しがとても長く感じる…。
2年もしない内に自由になれるのに。
私を追い詰め続けた母親との絶縁の為に色々と調べてるけど…法的には親との縁を切れない現実。
変な話よね。世の中いい親ばかりだとでも思っているの?
いい親ばかりだったら子供は親を殺したりなんかしないわよ。
結局、「親はみんないい親(で、あって欲しい)」っていう定義の元でやってるんでしょう?
姉にとって自分を苦しめる者が私の父であったとするならば、私にとってのそれは母。
お姉ちゃんはこんなに苦しんだ
お姉ちゃんはこんなに可哀想だったって母親はよく言うけれど、私から見たらあんたは私にその時の父と同じことやっているわ。
多分…きっと一生言われた言葉は私の中から消えないし、ずっと私を蝕んでいくと思う。
それに一生許せなくて憎いんだと思う。
何もかも奪われて来たから。
私に何の罪もないのか、って言われたらそうじゃないんだろうけれどそれでもずっと許せないし、許さない。
他人に何と言われたって構わない。
親不孝だとでも薄情だとでも何とでも言えばいいわよ。
私はあの人と居られなかった。だから消えた。それだけだし。
何も手を出さないくせに外から言うだけの人間の言葉なんてどうでもいいこと。
親の死を報せる連絡もいらない。
知ったって行く気ないし。
ああ、私…こうやっていつまで生きていくんだろう。
何にも見えないの。将来こうやっているんだろうな、こう生きているんだろうなってこと…何にも見えないの。
どこに行けばいいんだろう。
突然、前触れなくキレる母親。
うんざり。心底うんざり。
キレたいのはこっちの方だ…
あんたの為にしなくていい借金させられたこっちの身にもなれと、声を大にして言いたい。
もう、それもあと2年もしない内にあれとはさよならだから。
問題はそこまで私が持つのか、というところ。
限界なのか、もう限界越えてるのかも自分でもよくわからない。
だけどやるしかない。自分の人生、変えられるのは自分だけ。
他人でも神様でもない、自分だけ。
これまでだって耐えてきたじゃないのって自分で自分を励ましながら日々を消化する。
あれと離れられたらもう帰らない。
居もしない神様に願うだけの他力本願な母親なんか要らない。
早くて2年後…私は家族というものを自らの意思で捨てる。
やれた人間はいっぱい居るんだから、私にだって出来ないことはない。
今の私の全てとはまでは言わないけれど…
大部分はきっと¨家族¨という部分がとても大きく影響していると思う。
まず、誰もが自分勝手なんだ。
誰かの感情なんか気にもしないで自分勝手に生きてる。
悪いことじゃない。悪いことじゃないけれど…
余りにも私という存在はそこで軽く扱われ過ぎた。
限界を感じた時…時々、だけど
私の原点を消して、私の存在も消してしまおうか。と思ってしまう。
ニュースを見るたびに、あと一歩踏み出した自分を見ているような気持ちになってしまう。
死にたい訳じゃない。
だけど、消えたい。
何が違うんだと聞かれればどう答えていいのか、わからないけど。
誰も私自身を見てない。
きっと誰も知らない。
誰かは「楽しい子」だから寄ってきて
誰かは「話を聞いてくれる」から寄ってきて
誰かは「面白い子」だから寄ってきて
誰かは「身体」に寄ってくる。
別に楽しいから、面白いからって理由は構わない。
だって友人ってそういうとこがあるから。
私も「一緒にいて楽しい」って理由だったりするから。
だけどね、身体だけ。それだけで近寄らないで欲しい。
だったら無視された方がずっとマシよ。
それだけなら他を当たってくれたらいいのに。
私はそれだけが欲しい訳じゃない。
私を見て欲しい。私を知って…それから受け入れて欲しい…
虚しいだけ。そうされる度に、何かよくわからないものが磨り減っていく気がする…
そうやって、何もかも曖昧なままで事を運ぼうとする。
とっても狡い人。
だけど私も本当に欲しいのか、それともどうでもいいのかわからない。
それでも、「ならば、なんであんなことを」とか「どういう心境でそんなことしたの」と問い質してやりたいような気持ちの反面…聞きたくない、って気持ちも勿論ある。
聞かなければ、傷付く可能性は一気に減らせるから。
嗚呼、本当に混乱。頭の中がぐちゃぐちゃ。
でも、だけど…そういうアレコレが次々に過っては否定して、の繰り返し。
答えは、何時だって私の中にはないのに思考は止まらない。
毎回そう。「こうしなければ良かった」そればっかり。
行動しなければしなかったで後悔することは目に見えているのに。
そうね…どんな答えだとしても、今…狡いあの人の脳内が私のことでいっぱいになっているなら―――って考えたら、それはそれはとても気分が良いの。
「こうするべきか」「ああするべきか」そうやって、私のことを色々と考えているって考えただけでも快感に近いものが沸き上がる。
「これでいっか」なんて浅い考えでの答えじゃないものが欲しい
同じ答えでも考えに考えた結果であって欲しい。