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幸せの定義。






高校時代の友達がぼやいた。



彼氏と別れた。また続かなかった
幸せになれないんだ


って。




幸せの定義って一体何なんだろうね?



そんな私も、恋愛は全然続かないけれど。


でも、好きなお菓子を食べた時は
幸せな気持ちになるし



こんな歳になって、友達と馬鹿みたいに笑い合う時はとてつもなく満たされる気持ちになる



それは幸せとは呼ばないのだろうか…




好きな人に愛されて、傍に居れることのみが幸せと呼べるものなんだろうか?



私はそういう幸せだけじゃなくて
もっと違った幸せも欲しい。欲張りだから。





幸せになれない、と嘆く彼女に
僅かに苛立ちを覚えました。



幸せなるには、それはただボンヤリとしてるだけじゃいけない。


待ってても素晴らしい幸せなんか
手に出来るはずない。




過去に失敗した恋愛があるのなら
そこから学ぶべきものは必ずあるはず。



ここがダメだったのだと、気付けたのならば
そこを改善すればいい。



彼女はすぐに「別れる」と口にして
失敗した恋愛があって…
私もそれは「やめろ」と
言ったのに、同じことを繰返した。



改善もしないで
何が「幸せになれない」だ、と
苛立ちを覚えました。



そこは優しい人なら、
一緒になって悲しむべきなのだろうけれど…



私はそれが中々出来ない欠陥品らしい。





でも、何にもしないで幸せなんか訪れるわけがないと信じているから…


それはまた自分の失敗だと思いました。

求めるもの







後ろを、ずっと見ていました。



人生で最も楽しく、温かい日々であった中学時代ばかりを見つめていました。



後ろ向きに歩いていたのかもしれません…



何時だって、逃げの言葉ばかり
吐いていました



「あの時のほうが楽しかった」
「あの時に戻りたい」と…


しっかり、見ていませんでした。



中学を卒業した後も、私は人と出会い、みんな私を支えていてくれたことを、私は慕ってくれていたことを。



後ろ向きに歩くから
気付いていませんでした

後ろ向きに歩くから
転んでばかりでした



恥の多い、人生です。



今になって、私は気付きました。

戻りたい戻りたいと嘆く私を
どんなに悲しい気持ちで友人達は聞いていたのでしょう…


何時だって、傍に居てくれていたというのに。




そんな簡単なことに気づいたのは
友人の結婚式でスピーチをした時でした。



思い出と共に、彼女の人柄を語った時に、私は彼女達の優しさに、温かさに気付きました。




卒業してから気付きました


私は、欠陥品です。



誰にも胸を張ることはできません



でも…優しく、温かい友人達に恵まれたことは胸を張れます





こんな私を見守るように
優しく温かい人達を、悲しませたくはない
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