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ただ生きるだけの人生



食べて、寝る――――


それの繰り返しで、生きていける。


でも、それだけの人生なら要らない。




あげられたらいいのに、と思う。


命をやり取り出来る世界であればと。

私に、あと何れくらいの時間があるのかわからないけれど、それを必要とする人に与えられるならきっと残りの時間は私が使うよりもずっと有意義に使って貰えるから。


壊れていく心の、精神の修復の仕方がわからなくて…
周りを傷付けたくなって…


だって、皆傷付いてしまえば私だけがおかしい訳じゃなくなると思いながらも、少し残った理性でもどかしさと怒りと悲しみを自分にぶつける。



なんで?なんで?なんで?なんで?

考えても考えてもわからなくて
どうしたら自分の人生を歩めるのかわからなくて

自由になりたくて。


ここを一歩踏み出したら…って立ったら涙で何も見えなくなって。







もう、ぐちゃぐちゃだ。何もかも。

愛せない。



本当の意味で、人を愛せない。


この人が欲しいとか、この人が好きだと思うことはあるけど…
それは友人にも思うのと同じだと感じる。


付き合ってきた人で勘がいい人は「俺のこと好きじゃないでしょ?」と言った人も居たし。
実際、彼氏が他の女の子とどうしていようがそれはどうでも良かったんだと思う。


とんでもなく浮気性だった彼氏にも嫉妬したことはなかったなぁ…


¨欲しい¨と¨愛している¨は全くの別物。
私の中では愛しているから欲しいんじゃなくて
欲しいから欲しい。だった



この人が好き。も、それは一緒に居て楽だとか楽しいとか…そういうもので愛おしいとかいう感情はなかった気がする。



私の「好き」は何時だって「欲しい」だった


こんな私なんかを好きだと言ってくれた人も居たけど、何時だってその感情が何だか私は恐ろしくて、逃げたくなってしまう。

追いもしなければ、追われれば逃げてしまう


結婚して、子供がいる友人が微笑ましくて、羨ましく思えるのもきっと私が出来ないことが出来ているから。



旦那さんも子供も愛せる友人が羨ましいから。

私には出来なかったし、出来ない理由もわからないからどうしようもない。


これから先、誰かを愛せるかもしれないし愛せないかもしれない。



今までもポンコツだ、欠陥品だと自分のことを思ってたけど…ここまでとはねー。

でも、気付かされて良かったと思う
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