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続・くだらない

定期的に文章をしたためなくては生きていられない病気故、
こうしてつらつら書き連ねることが内に溜め込んだものを吐き出す唯一の手段であると言っても過言ではない

しかし
誰かに面と向かって意見を述べたり愚痴を吐いたりするのが苦手だ
たいしたことを考えていない薄っぺらな自分を露呈するのが怖いから

小難しいことを並べ立てていても
実際のわたしは、実にあやふやで不明瞭なものでしかない
わたしには核なんて無いのかも知れない

あり合わせの、愚かないきもの



わたし、という生き物の本質を見失って生きている
だからこんなに苦しいんだろう
何を目標に生きるわけでもなく、
ただ毎日をぼんやりと過ごす
それが厭で、時たまとんでもないことをやらかす

誰かに理解して欲しくても
主張するべきものがないから理解される筈もない
なかみがない

わたしは
わたしの中身をどこに置き忘れてきたんだろう

もう、ずっと前から欲している
「ほんとうのわたし」

知識として知っている
こうして思い悩む自分自身こそがほんとうのわたしであり、
友達を思って嘆いたり喜んだりする自分自身もほんとうのわたしであり、
何をしていようが何を考えていようが、それらは総てほんとうのわたしである
そういうことを、わたしは知っている

でもそれはわたしが求めている答えではなくて

明確なイデアが欲しい
これこそが「わたし」である、という、明確なイデアが





そんなもん自分で作れよ(笑)


くだらない

何もかもくだらない

愛も
憎悪も
悲哀も
怒りも
妬みも
何もかもくだらない

この生が行きつく先も
この命がもたらす影響も

総て捨て去りたい
手放してしまいたい

それが出来ないのは
くだらないと思い込んでいるものの中にも大切に愛おしんでいるものが幾つかあって
それらを言い訳にして自分を甘やかしているだけ


本当にくだらないのなら
後先考えずに何もかも捨て去ってしまえばいい


自らのいのちなど取るに足らないもの
そうである、筈
なのにそれを絶つことを躊躇うのは
こんなものにさえ愛情をかけ心を傾けてくれる人たちがいるから

けっきょくわたしは人が好きなんだ
その人たちを哀しませたくは、ない

(という名目を振りかざして自分を甘やかしているに過ぎない)




そして
自分を嫌っているポーズをとりながら
何よりも自分を甘やかしている

卑怯者





信頼関係

信頼、まで書いて「…のマイリス率」と続けたくなるわたしはニコ厨

…そうではなくて。


信頼していた筈の友人から告げられた事実に、裏切られた感が否めない。
勝手に信用して現実と想像のギャップを勝手に嘆いてるだけだから、そんなの相手からしたら傍迷惑な話でしかないだろう。

でも、なんか裏切られた気分。

友人の中でも一番くらいに信頼していた奴だけに、より一層裏切られた気分。


ちょっとだけ、人間不信。





話を聞いたのは一週間ほど前。
まだ消化しきれていない自分が滑稽。





人間、誰かしら何かしら人に知られたくない話くらいある筈。
そう考えたら、今回の話はむしろ話してくれたことを有り難がるというか喜ぶべきなんだと思う。
でもそんなに簡単じゃない。

もやもやーとする。

今後、これまでと同じ対応を出来るだろうか?



どうしたものか。
いや、どうもこうもないんだけど。



所詮、この先わたしが相手を信用していけるか否かというだけの話である。




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懐古

「攻殻機動隊」と「COWBOY BEBOP」は、わたしの価値観を大きく揺さぶったアニメである
好きな映像作品は?と問われたら、迷わずこの二つを挙げるだろう

これらのサントラがウォークマンに入っているのに、普段ボカロやメタルを聴いている為あまり聴く機会がない
しかし最近お気に入り曲ばかりのヘビロテに飽き飽きして、全曲シャッフルを活用している
その中でふと耳に心地よく響いてきたのが、菅野ようこ作品だった

で、いまビバップのサントラをひたすら聴いている

しんみりするのぅ



切ない系の曲がしっくりくるのは、やはり喪失感のためか





喪失

地元の精神科に通っていた頃に知り合った3歳ほど年上の女性が昨日亡くなったと、その女性のお姉さんから今朝連絡を頂いた

意味が解らなくて、何度も何度もメールを読み返した

つい数日前に本人からメールを貰って、まだ返信していないと言うのに

ここ数年会っていなくてメールやネットでしか交流していなかったから、もうこの世に居ないだなんて実感もまだ湧かない


人間は儚い
こんなにも呆気なく、簡単に死んでしまう
そして人間は愚かだ
こんなことに遭遇しないと、人がいつか亡くなってしまうということや、命や時間は有限であるということを思い出せない





悼む気持ちや惜しむ気持ちはある
悔いる気持ちもある
でも
死んだらおしまいだろ?とも思う

死を軽く見ているつもりではないのだけれど
葬式や墓参りに意義を見いだせないのだ

わたしはどこかおかしいのだろうか?

葬式はまだなんとか理解出来る
故人を弔うことは、残された人間が故人を亡くしたという悲しみなんかを吹っ切る為に必要な行為だと思う
でも○回忌やら墓参りとまでいくとやりすぎな気がしてくる
いくらその悲しみを引き摺っても、亡くなった人間が戻ってくるわけじゃない
悲しみに打ちひしがれる為にある行事じゃないのかも知れない
多分故人を含む先祖への某かの気持ちを込めて墓参りをするんだろうけれど
わたしには意義が解らない


死んだら終わりじゃねーか
死後の世界だとか
霊が還って来るだとか
そういうのは信じてないんだ
死んだら終わり
それでおしまい





でも、冥福を祈らずにはいられない




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