鬱だった…。周りの音大生に囲まれながら生きていくのは苦痛でしかなかった。
もちろんみんな優しいし、嫌いじゃないんだけど、どうしても劣等感からうまく関わる事ができなかった。
途中で同じ受験生のホルンの子と知り合った。
彼女は良くも悪くも楽観思考で、怖いもの知らず。
ときにはイラついた日もありました。
でも、彼女の積極性に助けられた部分もたくさんあります。
だから、嫌いではないです。
でも毎日一緒にはいたくないタイプなので、物理的に離れられてよかったかも、と思ってます。
お互いちがう街の音大に合格したので、もうほとんど会うことはないと思います。
まだまだ彼女は未熟だし、イラつくことも多かったけど、いい思い出として、とっておこうと思います。
新しい街の名前はデトモルトといいます。
私自身はこの街の名前は知っていたんですが、あんまり有名じゃないみたいですね。
多分だけど、私、とんでもなくレベル高いところに入学するのかもしれない。笑
ドイツの音大にも結構レベル差というのはあって、
客観的に見て、だけど、
自分が日本で一応まあまあレベルの高い大学を出ているのもあって、つい「この大学はうちの出身大学よりレベルが低い」とか考えてしまうのよね。
それは先生の良し悪しじゃなくて、生徒の質を見てわかるもの。
どの大学も先生はすごく上手ですから。日本もね。
でも生徒の意識レベルは違う。
自分的には、やっぱ成長に欠かせないのは周りとの環境だと思うのです。
週一回のレッスンより、毎日一緒に吹いてる人のほうが自分に影響を与えている、ということ。
楽器のレベルというか、意識の問題?
自分より下手だと思う人しか周りにいなかったら、どう考えても心の奥では自分が一番という考えになる。
それが最終的に自惚れとなるか自信へと繋がるかは、先生との関係性や自分の努力によって変わるものだと思う。
自分より上手い人しか周りにいなかったらどうなる?
多分自分は、高校の時は前者で、自惚れてた。
大学入ってからは後者だった。
自信が根こそぎ奪われて、人前で演奏することへの恐怖だけが増えていった。
つねに、追いつかなきゃという焦燥心でいっぱいで、自分の練習とか自分と落ち着いて向き合うっていうことをできなかった。
もちろん人間関係もかなり影響してる。
でも、こっちの日本人にあって感じたことは、
やっぱり私立音大からきた人はみんな(一部の人を除いて)前者なんだろうなって。
私立も公立も先生はほとんど変わらないし、生徒の技術レベルもそんなに変わらない。
でも、意識は違う。
私立音大を出てドイツに来てる人たちはやっぱ、
大学時代チヤホヤされてきたのかなって思う。
失敗や焦燥心、怖さを知らないまま育ったのかなって。
だからこっちに来てからも、吹けてないのに無駄に自信家だったり、自分より下手な人には当たり強いくせに、自分より上手い人を自動的に遠い存在として認識して、考えないようにしているところとか、尊敬してるだけ、とか。
だから入試とかでコテンパンに負けると、途端に言い訳をしてる。
国公立からきた人は、あくまで自分のレベルを客観的に見ながら周りと関係を作っている。
失敗も怖さも焦燥心も、「上手い人に負ける」ことも知ってるから、
吹けてなかったら吹けるまで練習して自信をつけるし、自分より上手い人がいたら負けたくない、とか吸収してやる、とか、決して届かない存在ではない、という意識がある。もちろん尊敬はするけど。
だから試験でコテンパンに負けたとき、決して言い訳せずにすぐに原因を考えたり、反省点をまとめて練習に戻ることができる。
つまり、私立音大の人は、周りを見ずに自分中心にコマが回ってるから、周りとの衝突が起きると途端にその人生のコマが揺らいでしまう。
国公立の人は、周りを見つつ自分中心にコマが回ってるから、他と衝突することはないしつねに均衡を保っている。
この違いを大前提に置いて、
ドイツのレベルの差というのを考える。
やっぱり、自分は今まで、全然勝ってきたことがないし、上手いとは思えないけど、一応国公立出身だっただけの意識と価値観は持ってるつもり。
いろんなドイツの大学にレッスン受けに行ってわかったのは、
「自分レベルを大絶賛してくれるところは怪しい」
です。
中には「もう君上手いから、入試受けてくれたら絶対取るよ!」と言ってくれる人もいた。
それってつまり、「私レベルで上手いと思うってことは、今いる生徒はどんなレベルなの?」と考えてしまう。
自惚れでもなんでもなくて、客観的に見て、自分は日本の中で、中の上寄りの中レベルだと思ってる。
だから、私にとってドイツというのは上レベルがたくさんいる、という感覚なのに、
中の上寄りの中レベルの私が絶賛されるってことは、良くないんじゃないか?と考える。
けど、私立音大の人はそれに気付かない。
全く疑いの心を持たずに、
「褒められた!取ってくれるって言ってた!私ドイツでも通用するんだ!」
といった感じに。
結果、そういう人は永遠に自惚れループから抜け出せないのである。
そうやって日本人やアジア人が集まった大学というのは、レベルというよりそもそも大学の信用が薄い。
オケの書類審査が通らないレベルの大学の知名度ってこと。
後になってきくと、みんな口を揃えてこういう。
「上手い人もいれば下手な人もいるよ」
と。
ここで考えてほしいのは、オケのオーディションの第一次審査は、書類審査だということ。
つまり、その人が上手いか下手かなんて関係ない。
先生の知名度と、大学のネームバリューが大事なんです。
なのに、「上手い人も下手な人もいるよ」か…。
最初のほうに一部の人を除くって書いたけど、ここでその一部の人が出てくるんだと思う。
例えば、レベルの低い大学の中で一位を取ってコンサートを開きました。とか、○○賞をいただきました。とか。
そういう人は、たしかにオケのオーディションも書類審査通るだろうし、大学のレベルなんて関係なくのびのびと練習出来るタイプの人なんだと思う。
しかし日本人にそれは滅多にいない。
だから、結局みんなそこに埋もれていく。
私は、一応国公立をでたプライドは捨ててないから、
ドイツの音大に入るなら、絶対前の大学よりレベルの高いところに入りたいと思ってる。
だから、レッスンで「君上手いから絶対取るよ!」と言われたときは考えてしまう。
このままエスカレーター式に大学に入って、私のためになるのだろうか?と。
結局、そうやって言ってくれた大学もありましたが、
でも、神様はちゃんと見てくれているんですね。
その学校には悪運が重なって受験が出来なかったんです。
浪人することはすごく悔しかったけど、ここで一度「負け」を知って、自分を見つめなおせたのはよかったと思います。
なんのために高い金を親に出してもらって留学するのか。
それは、もっとレベルの高い環境に入って、もっともっと向上していくため。
神様が、「お前はこの大学に入らないほうがいい」って示してくれたのかなって思ってる。
当時はすごく悔しかったけど(笑)
おかげで、長い浪人生活の末、ちゃんと1つの納得のいく大学に合格することができました。
レベルも高い、先生の知名度も高い、生徒の意識も高い。
ちゃんとエスカレーター式ではなく、実力で試験に勝つことができて、ほんとによかった。
これからもたくさんの困難にぶつかると思うんだけど、こうやってちゃんと勝ち残ることが出来たという意識が、これからの糧になると思う。
もしエスカレーター式に入ってたら、上手い人に嫉妬したり、他の日本人との関係で悩んだかもしれないけど、
今はもう自律して生きていけると思う。
頑張れると思う。
浪人明けの学生って、こんな気持ちなんだね。笑
ちなみに、なんでレベルが高いと思うかと言うと、もちろんホルンの学生たちの音を聞いてってのはあるんだけど、
それに加えて、周りからの評判です。
受験の時お会いしたフルートの学生さんが言っていました。
「うちの大学のホルンはレベル高いよ。」
さっきも言ったとおり、ほんとにレベルが高いと思ってなかったらみんな口を揃えてこういうんです。
「上手い人も下手な人もいるよ」と。
よく私立高校とかで言いません?「うちの高校の学力はピンからキリまでいます」と。
それってつまり、スポーツ推薦や滑り止めで来た子が偏差値を下げてるけど、頭いい人もいるからそういう言い方になるんだと思うんです。
それを、さも当然のように「レベル高いよ」というってことは、そういうだけの根拠があるんだな、と。
しかもそれを言ってくれたのが、東京藝大の人っていうところがまた怖いです。
藝大の人がいう、「レベル高い」って、それほんとにレベル高いじゃん。笑
さらに、知り合いがとあるコレペティ科の人に「私のホルンの友達がデトモルトに合格したらしいです」と伝えたところ、「え?!デトモルトのホルン科ってすっごくレベル高いよ?!すごいね!」といってたらしく…。
さらに言うと、ドイツ国内でもかなり人気でレベルの高い音大であるワイマールの先生がオススメする大学でもある、と、周りからの評判がとにかく良い。
もちろんこれはわたしにとってすごく良いことなんですが、単純に、やっていけるか不安です。笑
先生のタイプも、これまで習っていた先生が理論派とするならば、これから習う先生は感覚派という感じです。
昔、すこしだけ感覚派の先生についていた事があるんですが、その時は自分が未熟だったというのもあり、先生の言ってることが理解できないまま終わってしまって、理論派の先生についてからはすごく成長していけたと自分では思っているので、これからの自分がどうなるのか未知数で怖いです。
でも、今までは自分の考えありきで、納得いかないことは吸収しないスタンスでやってきたんですけど、これからはその新しい先生についたら、信じて突き進もうと思います。
その結果崩れる可能性もあるわけですけど、せっかくドイツで、私とは正反対のタイプの先生につくことができるんだから、吸収できる事は全部しよう!と思って。
そのためにも、よりいっそう頑張らないと、って思います。
さて、ここからは楽器の話ではなく、恋愛の話。笑
ツイッターでもちらほら書いてたんだけど、実はお付き合いしている外国人がいます。笑
仮にその人をDさんと名づけますが、Dさんはアニメが好きらしく、出会ってすぐに結構なかよくなりました。
私のような人を受け入れてくれて嬉しいです。
それはさておき、私って、結構な年下好きなんだなって最近わかりました。笑
相方も2個下ですし、どうも普段、先輩といるより後輩といるほうが落ち着くから、そうなのかな〜って思ってたけど、多分そう。笑
理由はというと、
まず私はものすごいブラコンということですw←
兄のことを尊敬してるし、ゲームの話は兄しか話す人いなかったし、
いつもやさしいから甘やかされて育ってきたし。
もちろん変な感情はないですけど!!w
で、兄に甘えることに慣れていた私にとって、大学の上下関係というのは苦痛でしかなかったのです。
兄に甘えるように、先輩にも甘えれるかって?無理に決まってる。
すごく気を使うし、ずっと敬語だし、後輩が動かなきゃいけない世界でどうやって甘えろと。笑
だから、先輩はもちろん尊敬してるけど、いつまでも一線を引いて関わる対象になってました。
ドイツに来てからもそうです。
年上にはどうしても甘えられない。
これはまあ高校時代からそうだったけど、まだ高校時代は先輩に甘えられる環境だったと思う。
高校までは、3年生が動くのが普通だったから。
でも自分が3年になったときのほうが、楽しかったかな。後輩と友達みたいに仲良くなったし、たとえ後輩でも上手かったら素直に尊敬してた。
大学時代も、先輩はもちろん尊敬するけど、教えを説かれるとつい「この人はなぜ、私よりたった一年早く生まれただけでこんなにも偉そうなのか」と考えてしまう。
実力に見合ってるなら良いんです。でも、そんなに私と変わらない人だと、ついそう考えてしまいます。
でも、後輩には普通に教えを説かれても、尊敬して終わります。嫉妬もないです。
結局、私の中では、上下関係というものがものすごくわずらわしい存在なんだと思います。
先輩は早く生まれただけの、私と同じ人間。
後輩も、遅く生まれただけの、私と同じ人間。
だから、尊敬するときは年齢関係なく尊敬するし、相談だってする。
けど、日本の上下関係では、先輩を敬わなければならない。
だから結局、私は同期や後輩とばかり一緒にいてしまうのです。
年下はみんな、気を使ってくれる、けど私はその壁をなくしたい。対等になりたい。
だからよりフレンドリーに関わっていた。
その結果、私は年下と一緒にいるほうが落ち着くんだなあって。
結局、私は誰かに甘えたいだけなんですけどねw←
きっと今の相方は、私がそんな風に思ってるなんて微塵も感じてないと思うけど。笑
そして、なぜ今この記事を書いたかというと、
多分4月に引っ越したら遠距離になって、疎遠になり、、、、その先続くかわからないから。笑
今だけでも、付き合ってた、てことをここに思い出として残しておこうかなって。笑
別に、嫌いになったとかではないんですけど、
新たな土地、新たな友人、新たな環境に4月から溶け込む自分が、遠距離なんてものを出来る気がしないからです。
私はメールも電話もそんなにしないし、用件があるときしかしないから、やっぱ直接会わないと、関係は薄くなっていくかなぁって。
って、こんな風に考えてる時点でダメだよね。
不安なだけです。
いつまで続くことやら…。笑
長くなりましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました。