こんばんは。夢路です。
突然なお話ですが
私は自分に自信を失いかけた時や、落ち込んでいる時には高校の卒業アルバムを読み返します。
何故なら、私の中で1番輝いていた日々だったからです。
勉学に励み、委員会活動に励み。
唯一心残りだったのは、夏休みの希望者だけのドレス作りをやらなかったこと。
親に無理を言ってまでやればよかったなぁと思います。
その時は両親に送り迎えをしてもらっていたし、バイトもしていないので生地代などを出してもらうのも悪いなぁと思ったからです。
大体1着、2万ぐらいでできたそうで。でも2万は大きいよねぇ。
そうそう。卒業アルバムをみていたら、先生方のメッセージも書いてありました。
「可愛い彼女であれ
賢い妻であれ
強い母であれ
そしていつでも優しい女性であれ」
この言葉、すごく好きです。
力強くて愛で満ちていて。
誰かの言葉の引用かもしれないけれど。
私は委員会の委員長でした。
その前にクラスの級長でした。
クラスの級長になる時、クラスの推薦で候補にあがったんだけど正直私がやっていいものなのかわからなかった。
……違うね。やりたいけれど、できるのか不安だった、て方が正しいかな。
足の悪い私でもやらせてくれるのかな?って。
けどそんな事は全く気にしなくていいことだった。
担任のスゲちゃん(女)は「夢路!任せてもいい?ていうかやるよね?」って言ってくれた。
すごく嬉しかった。
今まで自分が人の前に立ち、まとめるなんて滅多になかったから不安だらけだったけど、やってみたかった。
そのあと委員会では委員長2人に呼び出されて「夢路を委員長にしたい」って言ってくれて。
ちなみに委員会というのは放送委員会で、校内アナウンスとか集会の放送機材の用意とかするんだけどね。
前委員長が2人だったから、私も2人なんだろうなと思ったらその前委員長達が特例だっただけらしく、私はまさかの1人wwwww
もうほんっとに心配だったけど、その代わり副委員長をこき使った←
でもなんでだろうなぁ。
何故か私、唯一話せる同級生の男子とかには何故か怖がられるっていうか嫌われるっていうか…
威圧感でも出てんのかな……←
まあ警戒みたいな?信用はあまりできないからなんだろうけど。
事実、1人でやった方が安心なところもあったし。でも大きい機材とかは男の副委員長にやってもらうしかないし。
でも、楽しかったなぁ、ほんと。
あっという間でした。
あ、そうそう
アルバムにね、笑顔を大切にって色んな人からいっぱい書いてありました。
やっぱり私は、笑うことに存在意義があるんだなぁと再認識しましたとさ。
あと、この間
会社の人に今年の祭にでないか?と、誘われた。
私の地域では夏に大きな祭があって、そのなかで企業が参加する踊りがあるのね。
新入社員は強制参加で、その他は有志なんだけど。
ちなみに私は三味線を弾きました。
私ね、三味線やったのすごく楽しかったし好きになった。
でも祭は昼中ずっと歩いて回るから、新入社員の時は車椅子にのりながらやってた。押してもらってね。
今だって出来るならばやりたいけれど、でももう新入社員じゃない。
車椅子を押してもらうのも悪い気がして。
そんななか、新入社員の時に一緒に祭りでお世話になった会社の人に誘われた。
正直、揺らいだ。
やりたい。三味線をやりたい。またみんなで笑いあいたい。
「どうですかね…三味線、すごく楽しかったですし、できればまたやりたいですけど……ほら、車椅子押してもらわなきゃいけなくなっちゃうんで、申し訳ないです」
そう返事を返したら
「そんなの気にしなくていいって!いらないことを心配するんだから!」
って言われた。
無責任なこと言うなよ。
車椅子を押してもらう身にもなれよ。
みんなそういうんだよ。
「気にすんな」って。
でもわかるんだよ。
例えそうじゃなくても、想像しちゃうんだよ。
嫌な顔されてるんじゃないかって。
例えばそう思っていたとしても、お前たちは言わないだろ?
なんとなく、自分の感情が深く深く沈んでいくようだった。
寂しい、もどかしい、悔しい
母はだいぶ前に言ってくれた。
お前がどうしてもやりたいと思うなら、やってみればいい。
でも、私にはその一歩を踏み出す勇気がない。
一歩足を踏み出せば、何かが変わるかも知れない。
けれど私は毎回、白線の内側でじたんばを踏んでいる。
そしてたまに
そのもどかしさに耐えられなくなって
自分を壊す。
また我慢の最初からやり直す。
その白線を越えることはできるのだろうか?
いつも白線のその先に、手を伸ばしてくれる存在を探してる。待っている。
そんな私にはきっと、叶うわけがないのに。