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自分が信用できない

他人を自分の物差しではかるな

よくある言葉。

自分はこれを持て余す。

自分が障害を持っていて
一般的な感覚ではない、
と思い始めたのが発端なはず。

例えば死にたいが
自分を占める主な感情、とか。

楽しいがほぼない、とか。

生きるのが辛すぎる、とか。

自殺が唯一自分が認められる死に方とか。

感情がほとんどない、とか。

食べるのが気持ち悪い、とか。
まあ、いろいろ。

意思決定に根拠が必要。

これは普通に聞こえるかも。

自分はこうするべきだと思う。

そう考えたとき、証明が必要になる。

もっとわかりやすく書くと
自分や娘が発達障害ではないか
と思ったとき。

自分は信用できないので
情報を集める。

たぶんここからがこじらせてる感じ。

大多数の人が言ってる情報。
それは専門家からみて正しいか。
その専門家は優秀か。
それについて証明できるか。
その情報は信用できるか。
証明されているか。
その証明は正しいのか。

ここまでいくと
結局、人類の永遠のテーマになる。

証明の証明。

これは一生考えてもだめなんだ。

証明の証明の証明の証明の証明……

終わらないんだよね。

たくさんある情報の中から
1番有力な情報を選ぶ。

それも多角的にみて判断する。

自分は疑ってかかれ。
だから、情報と知識と学術を駆使して
判断する。

情報と知識を増やし続ける。

自分は信用できなから
自分を信じられないから
情報と知識に頼るしかない。

別にレストランでメニュー決めるとかは
問題ないんだよね。

それなりに自分の意見も言える。

ただ、家族とか友達に何食べたい?
って言われたりしたら
混乱する。

だって自分が決めちゃっていいの?

ってなるじゃん。


全世界で1番信用できない人間だよ?

間違ったこと言わないかな?って。

いつも不安でいっぱいです。
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