最近、いろんな人から「スマホに変えたら?」と言われるんだけど、なにがなんでも変えない。
選択肢がスマホしかなくなり、ガラケーが市場から消える事態になれば考えるが、現段階ではスマホに変える理由がない。
まず、私はややこしいことが嫌いだから、ケータイにいろんな機能を求めてはいないんだ。私が求めてるのはメールとネットだけ。スマホでやることはタブレットでも出来るじゃん。
LINEとか絶対やらねーし、LINEの返信で頭いっぱいになってる人が結構いるみたいだけど、あれ強迫性人格障害になりかけてるから。意識して。
基本的に流行ってるものには手を出したくなるけど、スマホにだけは手を出したくない。
世間と迎合して生きてきたけど、スマホにだけは合わせたくない。
私のケータイは時代への逆行を宣言している。
最近、メニューを食べ尽くす勢いでリンガーハットにハマっている。
これだけの野菜が数百円で摂取出来て、しかも美味しい。
小さい頃、ゲームを一本買ってもらうっていうのは大変なことで、手に入ったその一本は物凄く大切な、大袈裟ではなく宝物だった。
丁寧に箱を開けて、説明書は隅々まで読み込んで、緊張しながらカセットを挿す。一連の作業は儀式めく。それくらい、とてつもなかったのだ。
それがいまとなっては好きなときに買えるし、いつでも出来るし、なんの感動もない。そして、以前ほど面白くもない。
これは、最近のゲームがつまらなくなったからではなく、私が変わったからだと思う。あの感動はもう味わえないと思う。
……思った。
ごくごく最近、あの当時の感覚が蘇ったことがある。
それが、2010年9月、ポケットモンスターホワイトを買ったとき。
ゲーム自体ほとんどしなくなっていたから、ポケモンも久しぶり。ルビーで止まっていたから、実に8年ぶりだったのか。
いまも鮮明に覚えている、一番道路に踏み出す際の演出。あのとき、いろんなものが押し寄せて、涙が出た。
確か内定が出たばかりで、ようやく社会人になるというところ。ひとつの世界の決別。
その節目に、昔大好きだったポケモンが戻ってきた。それを感じたのだ。
たぶん、XYではここまでの感動は感じ得ない。BW2も面白かったけど、感動というのもまた違ったから。
結局、ゲーム自体に心が躍っていたんじゃなく、そのときの境遇が楽しかったのかな、といまは思う。
あまり早く進化しても仕方ない。
15年ぶりくらいに動物園に行ってきた。
やんがモルモット抱きたいって言うから行ったけど、迷いまくってたらふれあいコーナーの時間が終わってしまった……。
なんで、順路あんな難しかった?? 気付いたら逆走して爬虫類館に出口から入ったり、孔雀の檻に三回くらい出会ったり、象の横から公道に出そうになったりしたんだけど。
まぁ地図見ないで適当に歩いたのと、改装中で微妙によくわからんくなってたのが原因だと思う。
そのあとラーメン食べて帰ってきた。
仕事自体は楽になったんだけど、連日の引き継ぎでストレスが半端ないようだ。あんまり意識してなかったけど、普通のケースワーカーやってた頃より絶対疲れてる。
人に仕事を持ってくのが仕事だから、毎日誰かにイヤな顔されるんだからな。手続きを済ませたらすぐ引き継ぎだから、お客さんとの信頼関係を築くことも出来ない。
ワーカーとどっちがマシなのかな……。