今年になってようやく、ようやく歩を進めることが出来そうです。
何かと言うと、ライター業へ転職です!
旦那の仕事も軌道に乗り始め、もう安心出来るほどになりました。なので、現在私が働いている仕事場には三か月後には辞めることを伝えました。
嬉しい反面、不安もあります。私はやっていけるのか?という不安。けれど、やっていかなきゃいけない状況にならなきゃやらないのが人間ですし、駄目そうなら他の仕事を探すまでです。
ただ、嬉しいことが一つ。旦那の働き先で、ライター業をお願いされそうです。まだ未定ではありますが、ある程度何を書いて欲しいのか決まればきちんと仕事として依頼してくれるそう。それだけでもありがたい。
そこの会社は個人事業ではありますが、とても素敵なことを続けているところで、社内もアットホームなんですよね。そこに携わることが出来て嬉しいなって思うんです。少しでも応援できるので。それなら一緒に働けばいいのでは?と思われるかもしれませんが、接客業なので私にはハードルが高いんですよね。
あと、旦那と一緒に働くのはちょっと避けたい。
いや、嫌いとかじゃなく、面白さが半減する気がするんですよね。同じものを築き上げるのは楽しいものでしょうけど、仕事となると違うんですよ。別の世界の話をお互いに話し、その中で共通がある方が楽しいと感じたり、新しい発見を話し合ったりの距離感が丁度良いと思うんです。違う世界からお互いを高めあうのが程良い距離感かと。
私にとってはこれが丁度良いですね。結婚したとは言え、四六時中一緒なのは飽きますし……時々共有する時間があるくらいが楽しいと思うんですよね。付き合いが長いほど。
話しは脱線しましたが、今は個人事業主のいろんなことを友達に教えて貰っていたので、それを実行する期間です。まぁ、その友達に教えて貰ったのも2年前なんですがね。友達に報告したら「やっとかよ」とツッコミ貰っちゃいましたわ。本当にやっと。やっとスタートライン!!
こんにちは、桶乃です。
私は学生時代から抱いていることがあります。
それは文章でお金を稼ぐこと。
始めは小説にこだわって書いていました。
けれど現実は厳しい。当時は今みたいにたくさんの投稿先もありませんでした。
それに仕事も残業続きで書く気力もないくらい忙しく
諦めることが増えていたのです。
旦那との二人暮し、旦那の転職、と別のことに気力を注ぐことにもなり
完全に諦めていました。
しかし去年辺りからyoutubeでWedライターについて見かけるようになり、また再熱。
小説にこだわっていましたが、Wedライターとして書いていくのもありでは?
違う形から進むのも良いのではないかと考え出したのです。
なので早速猫のライターに応募して半年くらいは書き続けました。
少しだけ抱いているものに近づけた気がします。しかし続けるってしんどいですね。
ライター業に少しは慣れてきていましたが本職での人事不足で心身ともにやられてしまいまして。
これは本業を半分に減らさないと続けられないぞ、と思い至りました。
正直、本職自体もずっと続けられるような職業ではないと思っていたので丁度いいのですが
問題が一つ。
お金です。
最近、旦那が転職したので以前よりも収入が減っていますし、今の会社に入るまでに
いろいろとあったので貯金もほぼ無し。
この半年ほど頭抱えてる状態です。求人を見てるんですが今の収入より低い収入に
なるんですよね。現実は厳しい……けれど諦められないので基本的に抜かれていくお金を減らすことと
職種の良い組み合わせがあればと探し中なのです。
ということで、現在の報告と抱いている夢の現実でした。
こんばんは、ご無沙汰しております。ずいぶんとブログを休憩していた桶乃ハシです。
またもや暗い話になりそうなので暗い気分になりたくない方はブラウザバックを。
因みに私が忘れたくないための内容ですので文章は微妙かもです。
父が亡くなって一年が経ちました。コロナの影響でずっと実家に行っていませんでしたが、父の一周忌ということで実家へ帰りました。
久々に会う姉や母。何事もなく「久しぶり」と声を掛け合い、姉と母は先にお寺へ行きました。
その後私は仏壇に手を合わせたんです。それから父の笑った遺影を見た。すると何とも言いようの無い感情に襲われ、涙が止まらなくなってしまいました。
あまりの感情の高まりに嗚咽も出てきて過呼吸になったんです。トイレから戻ってきた旦那にも「どうした?」という声掛けに返事することができませんでした。
驚きましたが、正直過呼吸になったことがあるので必死で押さえました。少しの時間は掛かりましたが過呼吸は治まったんです。ただ、その後に手の痺れがきて怖くなりました。はっきりとした痺れに焦っていましたが、さすがに旦那には言えず、トイレに駆け込んで便座に座り落ち着こうと10分ほどそのままでいました。すると痺れは消え、安堵しました。
幸い、旦那以外家族は家にいませんでした。
本当なら一緒に行くのですが密集するのを避けるため、結婚して外に出ている姉妹夫婦は外で過ごすことになっていたのです。
なので私と旦那は遅れて行くために実家に残ったのです。その間の出来事です。
あとで症状を調べたのですが、過喚起症候群のようです。
概要
不安や極度の緊張などで過呼吸の状態となり体内にある二酸化炭素が放出されて、炭酸ガス濃度が低くなることで本来は中性であるはずの血液がアルカリ性に偏り、身体にさまざまな症状が現れる。神経質な人や、不安を感じやすい人、緊張しやすい人に起きやすいと言われている。
調べた先にこのように書いてあり「ああ私はまだ心が追いついていないのか」と思いました。
久しぶりの実家で安心感もありましたが、実家に帰らない限り父が仏壇に入っていることを目にすることはありません。
それが大きいかもしれませんね。それに久々の実家に安心感もあり、緊張の糸が切れた気もします。
だから理解しているつもりでも心が追いついてない。自分でも思っている以上にダメージが強いのでしょう。
もしかしたら父が亡くなった事実を見ないようにしていたかもしれません。
今は副業を本業にしようと奔走しようとしていましたし、この7月は特別な思い入れもあるので色々と重なっていたのもありますが。
なるべく溜め込まないようにしたいのですが、正直自分ではそこまで溜め込んでいたつもりないので、自衛しないとそろそろまずい(精神的に)のではないかと思った日でした。
この記事では、「いるの いないの」という怪談絵本を紹介しつつ、楽しみ方を書いていきたいと思います。
**目次**
1作者に注目!
2表紙から眺める
3怪談えほん「いるの いないの」の楽しみ方
4最後に
1作者に注目
まず個人的に注目して頂きたいのが作者です。
ホラーやミステリーといえば京極夏彦さん、というくらい小説作品で有名な方がストーリーを考えられてます。
正直、私がそれにつられて買ってしまったと言っても過言ではないです。絵本では、子どもが読んでも分かるような単純な文章しか載せれません。小説とは大違いです。なので、“絵本でどう表現されるのか”というのに興味が凄く湧いたのです。
それからイラストを描かれている町田尚子さん。絵本作家さんとして活躍されています。絵本を自分で買ったのが今回初めてだったので、絵本作家さんには疎いのですが、この町田尚子さんのイラストに惹かれるものを感じました。
なので、気に入った作家さんを辿って絵本を選ぶのも面白いかと思います。作家さんの表現の豊かさが垣間見えるのも楽しみ方の一つです。
2表紙から眺める
まず、表紙の絵を良く見て頂きたいのですが、主人公だけでなく、猫達も上を見上げているのがお分かりでしょうか。それだけでも不気味な感じが出ていますね。こう言う細かな所を見ていく、と言うのが絵本の魅力だと思います。
文章で表現出来ない部分をイラストで作品の表情を豊かにしています。それは本文も同じですので、文章が短くともじっくり読んで眺めて頂きたい。そうすれば、作品の奥深さに気づかされます。
3怪談えほん「いるの いないの」の楽しみ方
ストーリーを簡単に説明しますと、主人公がおばあちゃん家に暮す事になります。その家の、暗くて高い天井を気にして何度も見上げていくうちに……と言うお話です。
一ページ目は、主人公が住むことになり、おばあちゃんが玄関から主人公を迎え入れるシーンが描かれてます。その、玄関から見える部屋の暗さと外の明るさの明暗のコントラストが、一層部屋の中をひんやりとした空間に感じさせ、何かが潜んでいるような気がしてくる一枚となっています。その一枚のイラストと、子どもの頃に自分が感じたことのある冷たさを思い出しながら見ていく。
そうする事によって、よりリアルな不気味さを感じる事ができます。
そしてページを捲っていくごとに、所々暗い場所に何かいるんじゃないか、と探してしまう不気味さがあります。猫がたくさんいるせいもありますが、何より主人公が喋りかけているおばあちゃんの顔がほとんど見えなかったり、おばあちゃんも若い頃に何か見たことがあるのではないか、と思わされるセリフがあります。
その何気ない言葉のニュアンスの選び方が、読者の恐怖心を煽っていて、独特の雰囲気が漂っています。
それから、主人公が初めて“何か”を見た時の、次にめくる高揚感をいい意味で裏切っています。そしてそのがっかり感の不意を付く最後。
二回目に読む時は猫が何処にいるのかを探すのは面白いですね。何気に細かく散りばめられているので、探すのが楽しいです。それから、背景。部屋の中の物で何があるのか、季節はいつなのか、説明されてない分、イラストで理解していくのが面白くもあります。
例えば、文章では季節を書かれてませんが、主人公が半袖を着ているから夏だろう、とか、家の中に扇風機が見当たらないから扇風機がなくても涼しい家で、木々に囲まれている田舎なのだろうなぁ、等。
それらをお子さんに読み聞かせる時に、問題として出すのも楽しく読み聞かせする事が出来ます。
4最後に
絵本の楽しみ方を語らせて頂きましたがどうだったでしょうか? 正直、絵本の楽しみ方を知らずに読むと、「何だ、こんなものか」と思いやすいです。
私の旦那に絵本の読み方を教えずに読んでもらいましたが、「ふぅーん。これだけ?」と言われてしまいました。悔しかったので、上記の事を熱量持って話したところ、「なるほどねー。それだったら面白いね」と言ってもらえました。
絵本にも様々な種類はありますが、基本的に文章とイラストでどこまで想像出来るか、気付けるか、だと私は思っています。そういう気付く絵本の読み方、是非とも試して頂きたいと思います。
因みに、京極さんは他にも絵本で出されている作品がありました。気になる方は他の作品も見られてくださいね。
お久しぶりです、考える事を諦めないよう努力している桶乃ハシです。
去年の夏頃から色んな人と会う機会が多くなり、知り得なかった事もたくさん教わりました。そんな中で、今年の夏、私の父が他界しました。肺がんでした。65歳と平均寿命よりも早く逝ってしまいました。これからゆったりと生活する予定だった父です。一緒に住んでいる時は悪い所に目が行きがちですが、結婚し、離れて暮らすようになってから、父の偉大さに気付かされていました。そして、亡くなってしまうと、全然適わないな、と思わせられました。親の偉大さ、適わない、と思う感情はよく聞くありがちな言葉ですが、本当にそうなのだな、と思い知らされました。不思議ですね。体験しないと分からないのですから。いくら情報として分かっていても、理解しきれていないんですから。でも、それは仕方の無い事、と片付けるのは簡単です。その<仕方ない>は何か。個人的にこう考えてます。
<仕方ない>≒<難しい>
です。親に対して固定観念があるからこそ、一個人としてみれない死角があるからです。一時的に一個人として見れる事もあると思いますが、親はこうあるべき、親はこうして当たり前、と無自覚ながらあると思うのです。いつもご飯を作ってくれてると、それが当たり前であるかのように、家の為にお金を入れてくれる事も当たり前に思えるのではと。他人の言葉やメディアの情報から、無自覚ながら親のあるべき姿を思い描いてると思うんです。もちろん、親が子どもに対して与える事を放棄するのはどうかとは思いますが、大人になって、与えて貰ってる事に気付くのって非日常的な事がないと分からないものなのだ、と。
人によっては親が亡くなったりせずとも、偉大さや適わない相手、と実感している人もいると思います。あくまでも私個人的な考え方です。
余談ですが、結婚してから親を一個人として見れていない事に気付いて、客観的に見ようとしてましたが、なかなか難しいですね。親の固定観念に掛かっていた歳月が長すぎて、親の事を一部しか理解出来てないなと思い知らされてました。
この話を最後まで読んでくださった人にとって、親とは何なのか、考える機会となればと思います。